歴史

沖縄に米軍基地が多いのはなぜ?戦後から続く歴史と複雑な現実を読み解く

沖縄と基地の関係はいつ始まったのか?——戦前から戦後へ

沖縄における基地の歴史は、単なる戦後の問題にとどまりません。

その始まりは、1945年の沖縄戦。

太平洋戦争末期、日本本土決戦を見据えたアメリカ軍が、「最後の砦」と位置付けた沖縄へと上陸しました。

 

当時、民間人を巻き込んだ激しい地上戦が展開され、沖縄の人口の4人に1人が命を落とすという未曽有の惨事に。

その直後、アメリカ軍は島の各地に滑走路や通信施設、兵舎を次々と建設しました。

 

つまり、沖縄戦で使用された土地がそのまま「米軍基地」に変貌したのです。

現地の人々が語る「戦場がそのまま基地になった」という言葉には、皮肉と無力感がにじみます。

 

 

なぜ沖縄に基地が集中?米軍戦略と政府判断の綱引き

では、なぜ日本全国の中で、沖縄だけにこれほど多くの基地が集中しているのでしょうか?

その理由は複数ありますが、主に以下の3点が挙げられます。

 

地理的要因

沖縄は中国、朝鮮半島、台湾、東南アジアへアクセスしやすい「アジアの要所」に位置しています。

そのため、米軍にとっては冷戦以降のアジア戦略上、極めて重要な拠点とされてきました。

本土の反対運動

戦後、本土各地でも米軍基地が存在していましたが、反対運動や地価高騰により、徐々に移転が進行。

「沖縄なら反対も少ない」「地理的にも便利」との論理で、基地が集約されていきました。

政治的な配慮

日米安全保障条約のもと、日本政府はアメリカとの同盟維持を最優先課題としてきました。

その中で、沖縄は「ある程度の基地負担を受け入れてもらう地域」として黙認されてきた経緯があります。

 

現在、日本全国にある米軍専用施設の約70%が沖縄に集中しています。

本土面積のわずか0.6%しかない沖縄に、なぜこれほどの“重み”が押し寄せているのか——その歴史的経緯を知ることが、現状を理解する第一歩になります。

 

 

アメリカ統治下の沖縄——銃剣とブルドーザーの時代

1952年、日本はサンフランシスコ講和条約で独立を回復しました。

ところが、その中に沖縄は含まれておらず、アメリカの統治が続きました。

 

この時期、アメリカ軍は住民の土地を強制的に接収し、大規模な基地網を築き上げていきます。

象徴的な言葉が「銃剣とブルドーザー」です。

米軍兵士に銃を突きつけられながら、自宅や畑を潰される——そんな状況が現実としてあったのです。

 

私の知人の祖母も、自宅が突然フェンスで囲まれ、「逃げるように山へ移動した」と語ってくれました。

そこにあったのは、反対する自由も奪われた“静かな強制”でした。

この時代に築かれた基地は、今なおそのまま使用され続けています。

 

 

1972年の本土復帰——期待と失望のはざまで

1972年、沖縄は日本へと復帰しました。

「やっと日本と同じになれる」——多くの県民がそう期待したといいます。

しかし現実は甘くありませんでした。

地位協定は改訂されず、基地もそのまま存続。

加えて、日本政府の監督権も制限され、米軍の自由な行動に対して住民が苦情を言っても、改善されない状況が続きました。

つまり、名目上は日本の一部でも、実質的には“特別な地域”として扱われ続けているのです。

 

復帰から50年以上が経過した今も、「日本に戻った意味があったのか?」という問いが、現地では根強く残っています。

 

 

今も続く課題——辺野古移設と現地住民の本音

近年、特に注目されているのが、普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題です。

政府は「危険な普天間を撤去し、安全な場所へ移す」と説明しています。

 

しかし、移設先とされる辺野古では、環境破壊や地盤の不安定さが問題視されています。

そして報道などでは「県民ぐるみの反対運動」として伝えられることも多いですが、実際に現地で抗議をしている人々の多くは県外からの支援者であるという事実も存在します。

 

私が2019年に辺野古を訪れたとき、地元の漁師さんがこう言いました。

「反対してる人たちが毎日来るけど、ほとんど地元の人じゃないよ。俺たちはこの土地で静かに暮らしたいだけさ」

つまり、表に出てくる“反対運動”と、現地に住む人々の温度差があるのです。

 

 

基地とともに生きる——分断される地域社会のリアル

一方、基地で働くことで生活を支えている人々もいます。

米軍施設での雇用は、地域経済にとっても大きな存在。

そのため、「基地は困るけど、無くなるともっと困る」というジレンマを抱えている家庭も少なくありません。

 

ある整備作業員は、私にこう語ってくれました。

「基地は嫌だけど、ここでしか働けない。だから複雑なんだよ、反対もできないし、賛成とも言えない」

沖縄の基地問題は、単なる「賛成」「反対」の二項対立では語れません。

そこには歴史と生活、記憶と現実が折り重なった、グラデーションのようなリアルが存在します。